ダンテ「神曲」

”Lasciate ogne speranza,voi ch’entrate.” (汝らここに入らん者、すべての望みを棄てよ。)~「地獄篇」

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ウエタツです。

今回は、先月のNHKラジオの、イタリア語講座で教材として取り上げられており、過日、溝江先生の多言語コミュニティの講義でも、題材として使われていた、ダンテの「神曲」について、書いてみようと思います。

ダンテ・アリギエーリDante Alighieri[伊]、1265年 – 1321年9月14日)は、イタリア都市国家フィレンツェ出身の詩人、哲学者、政治家。 日本でいうと、鎌倉時代の頃の人ですね。ルネサンス文化の先駆者として評価されています。

ダンテは、その生涯において、2つの大きな不幸を味わっております。ひとつは、永遠の恋人ベアトリーチェとの出会いと別れであり、今ひとつは、祖国フィレンツェの為に働く政治家となった後、愛する故郷を不当な理由で追放され、37歳の時から56歳の生涯を終えるまで、天涯孤独、放浪の身となったことであります。

ダンテが9歳の時に見初めたベアトリーチェ。9年後、再会したダンテは、その喜びを詩「新生」に書き綴ります。しかし、貧富の差は激しく、結ばれぬまま、ベアトリーチェは24歳で病死してしまうのです。その後、悲哀から立ち直ったダンテは、政治家として活躍するも、絶大な権力を誇る教皇・教会勢力との政争に巻き込まれ、国外追放となってしまうのでありました。

しかし、ダンテは、そんな自らの不運と悲哀をバネとして、不朽の名作「神曲」を残したのです。

というわけで、読んでみました、ダンテの『神曲』♪

…って、マンガじゃないか!と突っ込まれそうですが、今はビジネスの啓発書などでも漫画化が盛んで、コレがなかなか侮れないといいますか、ザックリとイメージを掴むには、とても良いと思います。

もちろん、学生時代に悪戦苦闘して読んだ(翻訳本です!)記憶はあるし、今回もザッと読み返しはしたものの、何せ原作は 全14,233行の韻文による長編叙事詩であります。更に、その中に、キリスト教の世界観、神学、哲学等が散りばめられているとあっては、一筋縄でいきません。

「神曲」とは、どんな話か?を、ごく簡単にいうと、(永遠の恋人ベアトリーチェを失い、苦悩に沈み、)暗い森の中に迷い込んだダンテが、大詩人ウェルギリウスの案内で、9つの「地獄」を見て回り、地球の中心を突き抜けて、罪が浄化される「煉獄」(れんごく)山へと辿り着く。登り切った山頂からは、再会したベアトリーチェに導かれて、天界を巡り、至高天(エンピレオ)へと昇りつめる、という話であります。

ダンテが、「神曲」で意図したものとは何か。それは、悩める人を、如何にして幸福へと導くか。中世暗黒の地獄の苦しみにある民衆を、如何にして幸福の天上へと誘うか。ここにこそ、ダンテの真意があると思います。元々の原題が「喜曲」であったことも、ラテン語ではなく、庶民の言葉であるトスカーナ語で書かれたことも、それを指し示していると思います。また「神」は、単にキリスト教の「神」のみを指すのではなく、もっと普遍的な至高の存在を表しているとも言えると思います。

以下、「地獄篇」「煉獄篇」「天国篇」の、それぞれについて、簡単に見ていきます。

【地獄篇】 すり鉢状の地獄では、軽い罪から重い罪へ、ダンテは、ウェルギリウスとともに、下方へと進んでいきます。

そこでは、肉欲者、浪費者、憤怒者、暴力者、汚職者ら、そして反逆者が、地獄で苦しむ姿が、極めてリアルに表現されています。

ダンテは、地上の最高権威とされたローマ教皇すら恐れず、人間精神の永遠の高みの上から、断罪していくのであります。

【煉獄篇】煉獄とは、天へ昇る前に、「自ら」罪を清める場所とされています。この煉獄の山を登り終えたとき、全ての罪が清められ、天界へと導く光が現れるであろう、と。

ここでは、高慢や自惚れ、嫉妬、怠惰、貪欲、淫蕩に耽った人々が、自らの罪を悔い改め、魂を浄化していく様が描かれています。

煉獄山頂へと辿り着いたダンテの前に、地上の楽園の花の雲の中から、天使ベアトリーチェが現れ、十数年ぶりに再会したダンテに、語りかけます。美しい場面です。

【天国篇】 ベアトリーチェに導かれ、光明を放つ魂たちに歓迎されながら、至高天に向けて天国を昇り続けるダンテ。旅の終わりに、ついに神を見るのであります。

ダンテは、亡命の悲哀の最中、全生命を賭けて死の直前に、執念の書「神曲」を完成させました。ダンテの生きた時代、フィレンツェでは、市民が教養としての学問や芸術を修道僧から取り戻し、詩人達は、権威主義的な教会の改革運動に熱心でありました。これが後に、イタリア全土での、人文主義(ヒューマニズム)によるルネサンスへと発展していくのであります。

イタリア語の原文の「音読」を♪

以上のように、「神曲」は、「地獄篇」「煉獄篇」「天国篇」の3篇から成り、それぞれが(地獄篇総序+)33歌から構成されています。また 詩行全体にわたって、三行を一連とする「三行韻詩」あるいは「三韻句法」の詩型が用いられています。 このように、聖数「3」と完全数「10」を基調とした数字を『神曲』全体に行き渡らせることで、「三位一体」を作品全体で体現しようとしたものとなっているのです。

最後になってしまいましたが、イタリア語の響きの美しさに加え、上記のように韻の施された、原文の「神曲」を、是非とも入手され、「音読」して味わって頂きたいと思います♪

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