ダンテ「神曲」

”Lasciate ogne speranza,voi ch’entrate.” (汝らここに入らん者、すべての望みを棄てよ。)~「地獄篇」

     ☆          ☆          ☆          ☆

ウエタツです。

今回は、先月のNHKラジオの、イタリア語講座で教材として取り上げられており、過日、溝江先生の多言語コミュニティの講義でも、題材として使われていた、ダンテの「神曲」について、書いてみようと思います。

ダンテ・アリギエーリDante Alighieri[伊]、1265年 – 1321年9月14日)は、イタリア都市国家フィレンツェ出身の詩人、哲学者、政治家。 日本でいうと、鎌倉時代の頃の人ですね。ルネサンス文化の先駆者として評価されています。

ダンテは、その生涯において、2つの大きな不幸を味わっております。ひとつは、永遠の恋人ベアトリーチェとの出会いと別れであり、今ひとつは、祖国フィレンツェの為に働く政治家となった後、愛する故郷を不当な理由で追放され、37歳の時から56歳の生涯を終えるまで、天涯孤独、放浪の身となったことであります。

ダンテが9歳の時に見初めたベアトリーチェ。9年後、再会したダンテは、その喜びを詩「新生」に書き綴ります。しかし、貧富の差は激しく、結ばれぬまま、ベアトリーチェは24歳で病死してしまうのです。その後、悲哀から立ち直ったダンテは、政治家として活躍するも、絶大な権力を誇る教皇・教会勢力との政争に巻き込まれ、国外追放となってしまうのでありました。

しかし、ダンテは、そんな自らの不運と悲哀をバネとして、不朽の名作「神曲」を残したのです。

というわけで、読んでみました、ダンテの『神曲』♪

…って、マンガじゃないか!と突っ込まれそうですが、今はビジネスの啓発書などでも漫画化が盛んで、コレがなかなか侮れないといいますか、ザックリとイメージを掴むには、とても良いと思います。

もちろん、学生時代に悪戦苦闘して読んだ(翻訳本です!)記憶はあるし、今回もザッと読み返しはしたものの、何せ原作は 全14,233行の韻文による長編叙事詩であります。更に、その中に、キリスト教の世界観、神学、哲学等が散りばめられているとあっては、一筋縄でいきません。

「神曲」とは、どんな話か?を、ごく簡単にいうと、(永遠の恋人ベアトリーチェを失い、苦悩に沈み、)暗い森の中に迷い込んだダンテが、大詩人ウェルギリウスの案内で、9つの「地獄」を見て回り、地球の中心を突き抜けて、罪が浄化される「煉獄」(れんごく)山へと辿り着く。登り切った山頂からは、再会したベアトリーチェに導かれて、天界を巡り、至高天(エンピレオ)へと昇りつめる、という話であります。

ダンテが、「神曲」で意図したものとは何か。それは、悩める人を、如何にして幸福へと導くか。中世暗黒の地獄の苦しみにある民衆を、如何にして幸福の天上へと誘うか。ここにこそ、ダンテの真意があると思います。元々の原題が「喜曲」であったことも、ラテン語ではなく、庶民の言葉であるトスカーナ語で書かれたことも、それを指し示していると思います。また「神」は、単にキリスト教の「神」のみを指すのではなく、もっと普遍的な至高の存在を表しているとも言えると思います。

以下、「地獄篇」「煉獄篇」「天国篇」の、それぞれについて、簡単に見ていきます。

【地獄篇】 すり鉢状の地獄では、軽い罪から重い罪へ、ダンテは、ウェルギリウスとともに、下方へと進んでいきます。

そこでは、肉欲者、浪費者、憤怒者、暴力者、汚職者ら、そして反逆者が、地獄で苦しむ姿が、極めてリアルに表現されています。

ダンテは、地上の最高権威とされたローマ教皇すら恐れず、人間精神の永遠の高みの上から、断罪していくのであります。

【煉獄篇】煉獄とは、天へ昇る前に、「自ら」罪を清める場所とされています。この煉獄の山を登り終えたとき、全ての罪が清められ、天界へと導く光が現れるであろう、と。

ここでは、高慢や自惚れ、嫉妬、怠惰、貪欲、淫蕩に耽った人々が、自らの罪を悔い改め、魂を浄化していく様が描かれています。

煉獄山頂へと辿り着いたダンテの前に、地上の楽園の花の雲の中から、天使ベアトリーチェが現れ、十数年ぶりに再会したダンテに、語りかけます。美しい場面です。

【天国篇】 ベアトリーチェに導かれ、光明を放つ魂たちに歓迎されながら、至高天に向けて天国を昇り続けるダンテ。旅の終わりに、ついに神を見るのであります。

ダンテは、亡命の悲哀の最中、全生命を賭けて死の直前に、執念の書「神曲」を完成させました。ダンテの生きた時代、フィレンツェでは、市民が教養としての学問や芸術を修道僧から取り戻し、詩人達は、権威主義的な教会の改革運動に熱心でありました。これが後に、イタリア全土での、人文主義(ヒューマニズム)によるルネサンスへと発展していくのであります。

イタリア語の原文の「音読」を♪

以上のように、「神曲」は、「地獄篇」「煉獄篇」「天国篇」の3篇から成り、それぞれが(地獄篇総序+)33歌から構成されています。また 詩行全体にわたって、三行を一連とする「三行韻詩」あるいは「三韻句法」の詩型が用いられています。 このように、聖数「3」と完全数「10」を基調とした数字を『神曲』全体に行き渡らせることで、「三位一体」を作品全体で体現しようとしたものとなっているのです。

最後になってしまいましたが、イタリア語の響きの美しさに加え、上記のように韻の施された、原文の「神曲」を、是非とも入手され、「音読」して味わって頂きたいと思います♪

Let’s ラテン語♪

ウエタツです。

今回は、西洋諸語の「源流」ともいえる、ラテン語について、書いてみたいと思います。

ラテン語?ラテン語なんて、今じゃ使ってるとこないし、「死語」なんじゃないの?と思われるかも知れません。

確かに、今現在「公用語」として使われているのは、バチカン市国のみ、それも教会の文書などがメインで、日常的に使われているのはイタリア語ということですから、あながち間違いではありません。 (写真は、サン・ピエトロ大聖堂)

しかし、前に「ロマンス諸語・ゲルマン語派」で見たように、ラテン語から、フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語等は派生してきており、また「フランス語を勉強すると、英語が伸びる?!」で見たように、1066年のノルマンコンクエストによって、フランス語の大量流入を受けた英語、またドイツ語をはじめゲルマン語派も大きく影響を受けております。

こうした「祖語」「源流」である言葉を学ぶことは意義のあることであり、事実、ラテン語の知識は一定の教養と格式を表すものとして、西欧諸国では学ばれてきております。

また言語の「学習」という面からも、ラテン語には、西欧諸語の、凝縮されたエッセンスが詰まっているのです。

更に、日常会話としては、死語に近いともいえますが、フィンランド国営放送では、ラテン語のラジオ番組があったり、また欧米知識人の間では、詩や小説をラテン語で書いたりと、根強い人気があるのです。

ラテン語の歴史

元々は、古代ローマを中心とした地方で使われていた言語で、「古ラテン語」と称されるものがありました。

その後、前3世紀頃から、ギリシア文化の影響を大きく受け、ローマ最大の詩人ウェルギリウス(Vergilius)、『ガリア戦記』の、あのカエサル(Caesar)の活躍した、前1世紀頃に、現代に伝わる「古典ラテン語」と呼ばれるものが完成をみます。「書き言葉」として完成をみた古典ラテン語ですが、一方で、兵士や商人、庶民の間では、「話し言葉」として独自の変化・展開をたどることになります。「俗ラテン語」と呼ばれるものです。

この「俗ラテン語」が、幾世紀を経て、各地に拡がり、「ロマンス(ローマ)諸語」として、イタリア語、フランス語、ポルトガル語等々へと変化していくのです。

書き言葉としての「古典ラテン語」は、中世の一時期に多少のくずれはあるものの、ほぼそのままの形で、近現代へと、西欧諸国における、いわば「共通言語」として受け継がれてきております。

特に、学問的世界では、①学術用の語彙が整備されている、②死語であるため、文法的な変化などがない、③中立的である、等の理由から、 ラテン語は、なお権威ある言葉であり、世界的に高い地位を有する言語であるといえます。以下に、具体例を挙げてみます。

学術用語として(医学用語、解剖学用語)

cholera コレラ。

rheumatismus リューマチ。ラテン語としては「レウマティスムス」。

bronchitis 気管支炎。気管支(bronchium)の炎症の意味。

tuberculosis 結核。ツベルクリン(tuberculinum)に対する反応で診断できる。ツベルクリンというのは、結核菌を培養・殺菌・濾過(ろか)した液のことです。

gaster 胃。「ガスター」という胃薬がありますね♪ラテン語は「ガステール」。

virus ウィルス 毒

lingua(リングア) 舌。ここから派生して「言語」の意味もあります。

日常語、商品名など

また、ラテン語由来・起源とされている日常語、商品名なども、実は、たくさんあります。「共通言語」ということもありますが、何となく格式があって、音の響きも格好いい♪というのも理由としてあると思います。ただ、商品名や会社の名前などは、採用した言葉の時代、語形、解釈などから、微妙なものもあるようです。

a.m.(ante meridiem アンテ・メリディエム) 午前

p.m.(post meridiem ポスト メリディエム) 午後

cf.(confer コンフェル) 比較・参照せよ

nivea(ニベア) は「雪」ないし「雪のように白い」の意

prius(プリウス) は「~に先立って、先駆け」の意

bellum(美しい)+ mare(海)で Bellmare (ベルマーレ)

resona(りそな) は「共鳴せよ、響き渡れ(命令形、単数)」の意

発音・文法など

細かくみていくとキリがないので、また別の機会に譲るとし、ここでは簡単に特徴だけ書いておきます。

アルファベットは、23文字です。I(J)、V(U)が被り、Wがありません。「ヴ」の音がなく、上の例で挙げたように、virusで、「ウィルス」です。

発音は、基本的に「(まさに)ローマ字式」です。日本人には親しみやすいといえます。ただ母音の長短、アクセントには、注意が必要です。

文法的には、難解なところもあるのですが、単語自体の「語形が変化」するという基本的な特徴があります。また、動詞は、人称、数、法(直説法・接続法・命令法・不定法)、相(能動相・受動相)、時称に応じて、変化(活用)するなど、後の各言語の原形ともいうべきものがみられるのですが、詳しくは、また別の機会に書きたいと思います。

☆☆☆

以上、ホントにザッとですが、ラテン語について書いてみましたが、多くの言語が存在するけれども、各言語が、別々に成り立ち、存在しているものではなく、互いに影響し合い、底流の部分では繋がっているんだ、という意識を持つことは、多言語を学ぼうとする上でも、また、いずれかの言語を究めようとする上でも、とても大事な視点であると思います。

ラテン語、ちょっとカジってみませんか?

Pax mundi per linguas(パックス ムンディ ペル リングアス)

ラテン語で、「多言語を通じて世界平和を」です。

(参考:はじめてのラテン語 大西英文著 講談社現代新書)

断捨離~DAN・SHA・RI

暑中お見舞い申し上げます。ウエタツです。

夏休みだよ♪という人もいれば、お盆も関係なく仕事だよ!という方も…お疲れさまです(汗)

海や山に、そして行楽地と、大変な賑わいのことと思いますが、ボクの部屋も、大変な賑わいというか、日頃の不摂生が祟りまして、散らかりまくり…6畳一間のアパートですが、主の自分の居場所がないほどに……。

まずゴミ…お金は全然貯まらないのに、イヤ、ホントにゴミは、よく溜まる。次に洗濯物。まぁ、これらは、言わずもがなですが…服は、普段、警備の制服でいる時間が長いことと、あまり執着がないことから、それほどではないのですが、まぁ、それなりにはある。厄介なのが、でありました…。

お金はなくても、読む時間もなくても、あれこれ本を買い集めるのは大好き♪でして…まして多言語、なんてなると更に…あまりのことに今年の初めには、アマゾンで結構な量を処分したりしたのですが…売れたお金で、また新しい本を買うという…。そこで、少し時間が取れたので、「断捨離」を決行しようと思い立ちました。

「断捨離」という言葉は、既にかなり定着しているようですが、元々はどこから来た言葉なんでしょうか。ボクは、「お盆の起源」の話に絡めて書こうとしたように、仏教から?とも思っていたのですが…。

実は、心の執着を手放すための、ヨガの行法哲学「断行・捨行・離行」から着想を得て、ヨガを日常に落とし込み、住まいとココロの片付け術として応用提唱したものだそうです。まぁ、深い部分では仏教と繋がっているのかも、ですが…。

やましたひでこさんの著書で広まり、商標登録されているようです。

さて、「片づけ」といえば、「こんまり」さんこと近藤麻理恵さんのアメリカでの大ヒットが話題になりました。

2014年に著書が英語タイトル「The Life-Changing Magic of Tidying Up(ザ・ライフチェンジング・マジック・オブ・タイディングアップ)」で翻訳され、 2015年には『タイム TIME』の「世界で最も影響力のある100人」に選出されています。

単なる「片づけ」ではなく「人生を変える魔法」としてセラピー的な位置づけがされたこと、「ときめき」の英語訳「Spark-joy(スパークジョイ)」がキャッチーであったこと、「捨てる前に物に感謝する」という行為がアメリカ人には新鮮だったことなどが、社会現象とまでいわれる一大ブームを巻き起こした要因と言われています。

当然、アンチも出て来る訳で、蔵書家などの反発があったり、著名な女性作家の、「英語が話せない人間が、アメリカで仕事が出来ることは、アメリカの衰退を意味する」 といった、根の深い差別心を窺わせる批判があったりしたようです。

ところで、「断捨離」を英語で言うとどうなるか?について、最小限のモノで暮らすライフスタイルである、minimalism(ミニマリズム)などが挙げられていますが、ピッタリとくる訳語はなさそうです。

また、「断捨離依存症」などという言葉もあるようです。何ごとも「過ぎたるは猶及ばざるが如し」(論語)で、「片づけ」それ自体が目的ではなく、物心ともに整理整頓することで、「開運」というか、人生を良い方向へと持っていくことにこそ主眼があると思います。

「断捨離」という言葉は、改まった場に臨んでは、「身を清める」といった表現に象徴されるように、元々綺麗好きで、潔癖症な、日本人の国民性と親和性のあるものなのかも知れません。

ともかく、そんなこんなで、ボクの部屋からも、大量のゴミと洗濯物が片付けられ、10束ほどの本と、なお数束の新聞等々が、「断捨離」されることとなり、無事、主(あるじ)は手足を伸ばして寝ることが出来るようになりましたw。

皆さまも、お盆のひととき、「ときめき」を感じながら♪禁断の場所wに手をつけて、「断捨離」にチャレンジしてみませんか?新しい何かが見つかるかも知れません。メルカリなどに出品できれば、ちょっとしたお小遣いも、なんてこともw。

映画「美味しいごはん」♪

ウエタツです。

お台場で行われた、「美味しいごはん」という自主上映の、ドキュメンタリー映画の上映会に行ってきました♪

この映画の英語字幕版を作成するに当たって、翻訳に携わられたエバンス愛さんのメルマガ(「独学で英語の達人」)での御案内で、あの松本道弘先生が翻訳の指揮をとられたと伺い、是非にも!と参加したのでした。

上映会は、新田祐士さん主宰の「NEXT DIMENSION」というコミュニティの、【ゼロレボ】ZERO Revolution MATSURI !!~ゼロから新しい自分に生まれ変わり、人生に革命を起こす、と銘打たれたイベント企画として行われました。そして「食」をテーマに、令和の新時代の生き方、食べ方、働き方について問うというものでした。

この映画は、大阪府枚方市樟葉(くずは)にある、家庭料理のお店、「御食事ゆにわ」の店長である、ちこさんの日常を伝えるドキュメンタリー映画です。

「御食事ゆにわ」は、決して便利な場所にあるわけではありませんが、食べると幸せになる、元気になると、日本全国からお客様が途切れない人気店。

そこを訪れた人からは、「御食事ゆにわのごはんを食べただけでなぜか涙が止まらなかった」という声だけでなく、「長年悩んでいたアレルギーが治った」「ずっとできなかった子宝を授かった」など、普通の飲食店ではありえないような声がたくさん届いているというのです。 

その陰には、祈りを日常に取り入れながら、流れにのって行動すること、一人の力を超えて仲間と一緒に輝くこと、エネルギーの高い場を作り場の力に応援されること…… 決して華やかなことばかりではないけれど、日々、人の役に立つ喜びを全身で感じながら、食と向き合い、働くことの尊さを伝える姿がありました。

70分ほどの映画でしたが、真摯に、ひたむきに働く、ちこさんの姿には、心打たれるものがありました。

さて、そんな映画なので、古神道や禅の思想を説明するシーンがあったり、オノマトペがふんだんに使われていたり、日本語特有の言霊(同音異義語)が出て来たりで、英語字幕版を作成するに当たって、そのあまりの難解さから、「最後のレジェンド」と申し上げても過言ではない、松本道弘先生にお願いされた、ということでした。

休憩時間に、ロビーで語らわれていた松本先生を見つけ、その場に加えて頂きました。ご挨拶させて頂いた後、先生に「如何でしたか?」と尋ねられ、率直に「難しい単語(ビッグワード)をほとんど使わずに、あの『場の空気』を伝えているのは、さすがにスゴいなと思いました」と、お答えしました。

また最後10分ほどのシーン、ちこさんが、朝起きて、祈りを捧げ、厨房に向かい、ご飯を炊き……という場面が、サイレント(沈黙)で流れるのですが、そこに英語だけテロップを入れたのはどうだったか?など尋ねておられました。

実際、例えば、「彼女は、人が自然に集まってくる人なんです」というセリフ。原案では “People are naturally drawn to her.”だったそうですが、松本先生の斬れる英語では “She is a magnet.” !!!…といった感じでありました。

イベントは第二部となり、主演の、ちこさんの御登壇となりました。ちこさんは、こちらのコミュニティとの思い出、また自分を救ってくれた塾長先生に師事された思い出などを交え、食について熱く語られ、①たとえコンビニ弁当であっても、光(命)と見立てて、お腹を満たす、②一人でも、暖かい食卓を作る、③目の前の目標と、より高い高い目標とを掲げ、一食一食が、この先の未来に影響しているんだということを考えていって欲しい、と訴えておられました。(*写真、素敵な笑顔が撮れませんでした。ちこさん、ゴメンナサイ(汗))

続いて、この映画の総合プロデューサーであり、経営コンサルタントの小田真嘉さんの御登壇となりました。小田さんは、人生を、運命を変える「邂逅」に恵まれるための3つのポイントとして、①「問い」を持ち続ける、②会いたい人リストを作り、自分から会いに行く、③ご縁を頂いた方々に、最善を尽くしてお役に立つ、を挙げられ、「周りの人生を変える仕事をすれば、自然と自分の人生は変わっていく」と話されました。

また、松本道弘先生も御登壇され、御挨拶を頂きました。

最後に、ちこさん、小田さんをはじめ、運営スタッフの方々が御登壇され、活発な質疑応答が交わされました。印象に残ったのは、「物事の解釈1つで状況は変わっていく」「おむすびは『光のボール』を作ること。食べてもらう人のことを『むすばれるように』とイメージしながら」「令和という時代は、『むすぶ』時代。精神性というか、『お腹で感じながら!』、ちょっとずつでも想っている人達と融合していければ」などでした。

とても刺激的な、学びの多い1日となりました。ありがとうございました♪

映画「美味しいごはん」公式サイト https://oishi-gohan.com/

松本道弘先生×映画「美味しいごはん」
https://dokugakuenglish.com/ra/s/oishiigohan

お盆・盂蘭盆(うらぼん)

ウエタツです。

相変わらず暑いですね…。もうすぐお盆休み。今年のお盆は、13日~15日ということですが、早い方は、もうお休みを取られたりしているのでしょうか。9連休とかいう話も…羨ましい限りですw。

ところで、皆さまは、「お盆」の起源ってご存知でしょうか?「ん?お盆だから墓参りだよ。先祖供養でしょ?!」とか言わずにw、昔話や物語が好きなもので、少々お付き合い下さいませ♪

お盆は、正式には「盂蘭盆(うらぼん)」といって、 サンスクリット語の「ウランバナ(逆さに吊される苦しみ)」という言葉 、 また最近では、イラン語の「ウルヴァン(死者の霊魂)」という語が起源ともされています。

仏教は、インドから中国に渡り、そして日本に伝わったものですから、その起こりは、やはりお釈迦さまなわけです。 そのお釈迦さまの「十大弟子」と呼ばれた内のお一人に、目連尊者という方がおられました。

目連尊者は、「神通第一」と呼ばれ、様々な神通力を身に付けていました。ある時、自分を慈しみ育ててくれた、亡き父母の恩に報いようと、三千世界を見通す眼をもって、今の父母の姿を探し出そうとしました。

わが最愛の母の姿やいずこ? ……極楽にもいません。天の世界にもいません。やっと見つかりました。なんとお母さんは、 生前に欲深かった者が死後に行く世界である、餓鬼の世界にいたのです!

飲むものも飲めず食べるものも食べられず、ガリガリに痩せて大変苦しんでおりました。まさに、逆さにつるされたような苦しみ(「ウランバナ」)を味わっていたのです。

目連は、驚いて、すぐさま神通力をもって、飲み物や食べ物を送り込みました。しかし、お母さんが、それを口にしようとすると、燃え上がって、飲むことも食べることも出来ないのです。目連は泣きながら、お釈迦さまのもとへと走りました。

お釈迦さまは、「お前の母親は、我が子可愛さ故に、他人の子を顧みることなく、物欲が深かった為に、餓鬼道に落ちたんだよ」と、説かれました。そして、「その罪は重く、お前にも、天神、地神、邪鬼、外道、道士、四天王神たちにも救うことは出来ないのだ」と言われました。「しかし…」と、お釈迦さまは続けられました。

「90日間の安居(道場や洞窟に籠もって修行を行う)が終わり、たくさんの僧が一堂に集まり、過去の罪を懺悔してさらに仏道の修行に勤しむ日である、7月15日に、多くの僧達に供養しなさい。そうすれば、お前の母も、縁する者達も、罪を免れ、苦しみから救われるでしょう 」

と、説かれました。そして更に、ほかの多くの者達も、同じように供養することで、苦しみから免れ、天の世界の楽しみを享受するであろう、と言われました。このことが起こりとなって、中国に伝わって、先祖供養が主体となり、更にそれが日本へと伝わって、現在の「お盆」へと繋がっているのです。

思いがけず、長くなってしまいました。実は、「お盆」の話はサラッと書いて、「断捨離」の話を書こうとしていたのですが、一旦終わりにします。それでは。

多言語・定例セミナーに参加♪

ウエタツです。

溝江達英先生の多言語コミュニティの、定例セミナーに参加してまいりました♪

普段は、Zoom講義などを通じて学びを深めているのですが、月に一度、都内某所に、全国から(時には海外からも!)集い合って、直接、溝江先生からのパワー・エネルギーを頂き、また皆でお互いに高め合っているのです。

今回、先生は、奥様をお連れになって来られました。先生の奥様は、なんと、ロシアの方なのです!

ボクは、英語・イタリア語・フランス語・ドイツ語・中国語を勉強しているのですが、溝江コミュニティでは、別枠で、ロシア語・スワヒリ語(!)の講義もあり、奥様はロシア語を担当されているのです。

セミナー開始前に、ロシアの飲み物・食べ物を御馳走になりました。左の写真は、KBAC [クヴァス] という、黒パンを発酵させて作るジュースです。コーラに似た感じですが、微妙な味わいです。ロシアでは、水代わりのように飲まれるそうです。

右の写真中央が、ドイツ語で Butterbrot [ブッターブロート]ロシア語では бутерброд [ブッテルブロート]といわれるドイツ風オープンサンドイッチ、黒パンにスモークサーモンをのせたものを頂きました。左は、下の写真右のお菓子、右側は、沖縄土産?のパイナップル。奥様手ずから切り分けて下さいました。とても甘く、美味しかったです。

ロシアのお菓子です♪

たっぷりロシアを味わったところで、ロシア語を学びました。

Здравствуйте! ズドラーストヴィチェ! いちばん丁寧な言い方の「こんにちは!」です。

До свидания ダスヴィダーニャ  やはり、いちばん丁寧な言い方の「さようなら」です。

Спасибо! スパシーバ!  ありがとう!

Простите пожалуйста プラスチーチェ パジャールィスタ ごめんなさい。

ほかにも色々教わりましたが、まずは33文字ある「キリル文字」をシッカリ覚えないと、ですね…。昨年暮れくらいに、少々手ほどきを受けたのですが、またロシア語「も」勉強したい!熱が再燃しそうです♪

さて、後半は、フランス語の復習をやりました。とはいっても、もちろんロシア語、イタリア語などと比較しながらです。

更には、語学力を武器に、様々に応用展開していくヒントなど、溝江先生よりお話がありました。

こうして有意義な学びの時を終え、いつもなら参加者皆でどこぞへwとなるのですが、今回は、お盆休み前ということもあってか、皆忙しい中で参集したようで、数人の仲間と、ピザをかじって、帰途についたのでした。

楽しい、充実した時を過ごさせて頂きました♪

溝江先生、奥様、ありがとうございました♪

フランス語を勉強すると、英語が伸びる?!

ウエタツです。

今回のタイトルを見て、驚かれた方もいらっしゃるかと思います。また、既に英語とフランス語、どちらもかなり勉強されている方は、実感としてご存知なのかも知れません。

ボク自身は、溝江達英先生に教わるようになって初めて知りました。

「英語の75%は、外来語である。そして更に、その内の50%は、フランス語から来ている」

衝撃でした。まぁ、それまで英語しか勉強してきていませんでしたから…(大学の第二外国語で取ったドイツ語も、キチンとは向き合ってきませんでした…)。

西欧の人々にとっては、隣国で使われている言葉は、どこかしら親(ちか)しいものがあって、それで向こうの人で2~3か国語話せる人は、覚えやすさというか、努力のし易さというのもあるんだろうなぁ位の認識しかありませんでした。

例えば、フランス語で、beau [bo] といえば、美しい、綺麗なという意味の形容詞。英語では、beautiful 。

可能性」という意味の言葉は、フランス語で la possibilite 、英語では、possibility 。

歴史」は、フランス語で l’histoire 、英語では、history 。「恐怖」は、l’horreur 、英語では、horror 。

同様に、「結果」は、l’effet 、effect 。「手紙」は、la lettre 、letter 。「荷物」は、le bagage 、baggage 。

」(la chance , chance)、「日付」(la date , date)、「驚き」(la surprise , surprise)に至っては、発音こそ違えど、綴りは全く一緒という…。例を挙げれば、いくらでも出て来そうです。

どうして、ここまで似通っているのでしょうか?歴史的な背景を追ってみます。

5世紀に、今のドイツ北部にいたゲルマン系(Germanic)の人々がブリテン島を占領、先住民を追い出して持ち込んだ言葉が、今の英語の先祖です。この時代の英語は、Old English (古英語)と呼ばれ、現在のドイツ語に似ています。スペリングも発音も文法も、今の英語とは違います。

9世紀頃からフランスのノルマンディー公国に定住していたノルマン人(元バイキング)。1066年、ノルマンディー公ウィリアムがイングランドに侵入し、征服王ギョーム(英語では征服王ウィリアム)となってイングランドを支配。ノルマンコンクエスト(英語: The Norman Conquest of England)】征服者たちは古フランス語(の方言)を話したため、やがて大量のフランス単語が英語に流入しました。この事態は、1204年のノルマンディー喪失まで続きます。

フランス語の源流はラテン語なので、ラテン語からも単語が流入したことになります。以前からあった単語のスペリングも、ドイツ語風からフランス語風に一変しました。この頃の Middle English (中英語)の時代(12世紀~15世紀)には、やがて、文法もすっかり変わりました。

以上のように、歴史的な背景を見ていくと、英語が、フランス語の影響を、強く、強く受けていることが分かります。なので、英語だけをやっていたのでは、よく分からなかったことも、同時にフランス語を学ぶことによって、見えてくるものがあると言えるわけです。

溝江先生は、更に、もっともっと、多くの言語を同時に学ぶことによって、見えてくるものがあると、仰います。バラバラな知識で、とっ散らかった頭になっていたとしても、必ず「1つに繋がる瞬間」を感じられる時が来るとも仰います。そのお言葉を支えに、チカチカした頭で、なお一層、多言語の勉強を頑張っていきたいと思います。

ポリグロットな人々

ウエタツです。

今回は、「ポリグロットな人々」と題して、2人の人物をみていきたいと思います。

【ハインリヒ・シュリーマン (1822-1890)】

既に色々なところで「シュリーマン学習法」として紹介されており、有名ですね。

子供の頃の思いを貫き続ける…まさに「情熱」です。反面、自伝にありがちな誇大表現などもあり、また功名心の高さゆえか、不適切な発掘作業、出土品の国外持出し等の問題もあるようで、人物評価というものの難しさを感じます。

ドイツの考古学者、実業家。若い頃ロシアに移住し、インド藍を商って巨富を得る。世界漫遊の後、少年時代に抱いた「トロイア戦争は実際にあったことだ」という信念を裏づけるべく古代史の研究を始める。1870年から1973年にかけて、アナトリアのヒサルリクの丘を発掘し、そこが (ギリシア神話に登場する伝説の都市)トロイアの遺跡に他ならないことを実証して、全世界に衝撃を与えた。その後、ミュケーナイ、ティーリュンスなどの発掘を続行。著書 『古代への情熱 シュリーマン自伝』(岩波文庫ほか) 。

彼は、貿易商として活躍する間に、15か国語を話せるようになったといいます。

言語修得のコツとして、次のようなことを書いています。…私はあらゆる言語の習得を容易にする一方法を発見した。①非常に多く音読すること、②決して翻訳しないこと、③毎日一時間をあてること、④つねに興味ある対象について作文を書くこと、⑤これを教師の指導によって訂正すること、⑥前日直されたものを暗記して、次の時間に暗唱すること。私の記憶力は少年時代からほとんど訓練しなかったから、弱かったけれども、私はあらゆる瞬間を勉学のために利用した。まったく時を盗んだのである。

「音読」は、やはり重要かつ効果的なのですね。「大声で音読をするあまり、家で音読をしていると、隣人に苦情を言われ引越さざるを得なくなった」ともあるように、「大声で」というのもポイントのようです。

「翻訳しない」については、 「『ポールトヴィルジニー』の現代ギリシア語訳を入手してそれを通読し、その場合私は注意して一語一語をフランス語原本のそれに相当する語と比較した」ともあるので、今ならさしづめ【対訳本】を活用、というところでしょうか。

時間の活用について、次のようにもあります。「どのような使い走りにも、雨が降ってももちろん、一冊の本を手に持って、それから何か暗記した。何も読まずに郵便局で待っていたことはなかった」…「スキマ時間の活用」ですね。やはり寸暇を惜しんで、時間を捻り出す、作り出す、僅かの時間もムダにしない、という「執念」が大事ですね。

最終的には18か国語をマスターした、とありますが、これもまた疑問視されているようです。しかし、やはり、学ぶべき点は多いですね。

【南方熊楠( みなかた くまぐす /1867-1941)】

こちらも、小説や、漫画(水木しげる『猫楠』、 岸大武郎 『てんぎゃん』 )にもなっており、有名でしょうか。

和歌山県生まれ。 博物学、仏教学、自然科学等をもとに独自の方法論を確立した、博覧強記の民俗学者・生物学者。大学予備門を中退し、明治20年渡米。のちイギリスで大英博物館嘱託となり,「Nature」誌などに寄稿。33年帰国後は和歌山県田辺町で「粘菌類」を研究,かたわら民俗学などの論文を多数執筆した。昭和16年12月29日死去。75歳。 諸外国語、民俗学、考古学に精通。 おもな著書に、『十二支考』『南方閑話』『南方随筆』『燕石考』など。 その他にも、投稿論文、ノート、日記の形で学問的成果が残されている。

子供の頃から、驚異的な記憶力を持つ神童だったそうです。また常軌を逸した読書家でもあり、蔵書家の家で100冊を超える本を見せてもらい、それを家に帰って「記憶から書写する」という卓抜した能力をもっていたようです。

語学にはきわめて堪能で、英語・フランス語・ドイツ語・イタリア語・ラテン語・スペイン語について、専門書を読み込む読解力を有していました。また、ギリシア語・ロシア語などに関しても、ある程度学習したと考えられています。ただし、話したり書いたりしていることが確かめられる外国語は英語のみであり、十数か国語を「自由に操った」というのは伝説と考えられています。

語学習得の極意は「①対訳本に目を通す、それから②酒場に出向き周囲の会話から繰り返し出てくる言葉を覚える」の2つだけであったそうです。

奇行が多かったことで知られています。異常な癇癪持ちであり、一度怒り出すと手がつけられないほど凶暴になると、両親など周囲の人々は熊楠の子供時代から頭を抱えていたようです。熊楠も自分のそういった気性を自覚しており、自分が生物学などの学問に打ち込むことは、それに熱中してそうした気性を落ち着かせるためにやるものだと、柳田國男宛の書簡で書いています。

大英博物館嘱託当時の彼は、亡命中の“中国革命の父”孫文とも親交を結んでいます。

62歳の時に、昭和天皇が神島ご訪問の際、粘菌等についての御前講義を行っているのですが、その時に献上した標本を入れたのが、キャラメルの空き箱(!)だったそうです。 後年、熊楠が他界した時、昭和天皇は「あのキャラメル箱のインパクトは忘れられない」と語ったといいます。1962年、昭和天皇は33年ぶりに和歌山を訪れ、神島を見てこう詠んだということです。「雨にけふる神島を見て 紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」。

(参考:「 南方熊楠 – 日本人の可能性の極限」 唐澤 太輔著 (中公新書) ほか)

燃えたよ…燃え尽きた…真っ白にな…

ウエタツです。

今回のタイトルを見て、「おお、懐かしい!」と思った方、同世代かもです。ハグしましょう♪w

知らない方のためにも少々書くと、これは名作漫画「あしたのジョー」(梶原一騎原作、ちばてつや画)の最終回、ラストシーンでの主人公・矢吹丈の台詞。 世界チャンピオンの座を賭けて最強のボクサーであるホセ・メンドーサに挑んだジョー。 死闘を繰り広げ、結果は善戦むなしく判定負けを喫したものの、自分の全てを出して戦い切り、真っ白な灰となったジョーが、満足げな笑みとともに放ったモノローグです。

場面は、ずっと遡って、ボクサーの道をひた走る矢吹丈と、思いを寄せる乾物屋の紀ちゃんとの、有名な、公園での「デート」のシーン。紀ちゃんがジョーに問いかけます。

「矢吹君は寂しくないの?同じ年頃の若者が、町に海に山に青春を謳歌しているというのに、矢吹君ときたら、来る日も来る日も、汗とワセリンと松脂の匂いが漂う薄暗いジムに閉じこもって、縄跳びをしたり、柔軟体操をしたり、サンドバッグを叩いたり・・・。たまに明るいところへ出るかと思えば、そこは眩しいほどの照明に照らされたリングという檻の中。そこでは、まるで闘犬のように血だらけになって殴りあうだけの生活・・・。なのに、まだ体はどんどん大きく伸びようとしているのに、食べたいものも食べず、飲みたいものも飲まず・・・。惨めだわ、悲惨だわ。青春と呼ぶにはあまりにも暗すぎるわ!」

ジョーが答えます。「紀ちゃん。さっきオレ、ちょっと言葉が足りなかったかのかもしれねぇな。オレは、負い目や義理だけでボクシングやっているわけじゃねぇんだ。ボクシングってやつが好きだからやってきたんだ

「紀ちゃんの言う”青春を謳歌する”って事とは、ちょいと違うかもしれねぇが、オレはオレなりに今まで燃えるような充実感を何度も味わってきたよ。血だらけのリングの上でさ。ブスブスとそこらにある、見てくれだけの不完全燃焼とはわけが違う。ほんの瞬間にせよ、眩しいほどに真っ赤に燃え上がるんだ。そして、後には真っ白な灰だけが残る。燃えカスなんか残りゃしない。真っ白な灰だけだ」(以上、引用)

…来る日も来る日も、トイレの中で、ho、hai、ha…(イタリア語 avere の活用)、電車の中で、j’ai、tu as、il a…(フランス語 avoir の活用)、………とは書いてない、ですねw

「熱いねぇーっ!、青春だねぇーっ!」と思った、同世代以上の友よ!w

「生涯青春」です♪「完全燃焼」していきましょう♪ 燃え上がっていきましょう♪

話は変わります。

先日、ある方に、「 教育とは、教わったことの全てを忘れ去った後に残る、何ものかである 」という言葉を、ご紹介させて頂いたところ、いたく感激されておりました。

ご存知の方も多いと思いますが、 この言葉は、アルバート・アインシュタイン(Albert Einstein 1879~1955)の語った「教育とは、学校で学んだことを、すべて忘れ去ってしまった後にも、残っているものである。“Education is that which remains, if one has forgotten everything he learned in school”(英文は原文のまま)」です。

教育が目指すべきは、世の中に氾濫している、膨大な量の知識を詰め込むことではなく、それらすべてを忘れ去った後にも、子どもたちの中に確かに残る、より本質的でより根源的なものを携えることにある、と唱えているのです。

ところで、アインシュタインの名言には続きがありました。 「そして、その力を社会が直面する諸問題の解決に役立たせるべく、自ら考え行動できる人間をつくること、それが教育の目的といえよう」 というものです。

ボクは、教育の専門家でもありませんし、今現在「教える」という立場にもありませんが、つまるところ、「教える側」と「教わる側」の、人間対人間同士の、魂の触発、継承といいますか、そういう知識以上のものを与えてくれる先生にめぐり合えた人こそ幸せだと思うし、またそれを感じ取り、受け止めきっていける人こそ偉大だと思います。

生き方、生きざまといったものは、単なる知識のように伝えられるものではなく、全人格的な関わり合いを通じて、はじめて伝えられるものであり、それこそが理想の、また究極の、教育であり、師弟というものだと思います。

以上、魂の「完全燃焼」、魂の「触発」「継承」ということで、少々書いてみました。




ロマンス諸語・ゲルマン語派

ウエタツです。

前回みたように、世界には膨大な数の言語が存在するわけですが、

今回は、「言語系統」について、みてみたいと思います。

言語系統(論)とは、比較言語学の方法によって、言語の系統を対象にする歴史言語学の一分野であり、同一の祖語から分かれて派生した諸言語についてその系統関係、あるいはそれが存在するかについて研究する分野であります。 (Wikipedia 参照)

難しいですね…。くだいて言えば、元来、人類は1つの言葉を話していたとする、バベルの塔の話ではないですが、逆からたどっていって、コチラの言葉とアチラの言葉は似ているけれど、先祖が一緒なのではないか?アチラの先祖とコチラの先祖は似ているけれど、更に大先祖が一緒なのではないか?更にコチラの大先祖と……と、言語のルーツを探求する、といえるでしょうか。

そうして、一応たどり着いた、 同一の起源(祖語)から派生・発達したと認められる同系統の言語の集まりのことを、「語族」と言います。現在までに研究されている、この「語族」が、 Wikipedia によると、インド・ヨーロッパ語族をはじめ、26あるようです。

★最大の多数派であるインド・ヨーロッパ語族をはじめ、主だった語族、言語についてのみ、抜き出して、簡略ですが、表にしてみました。

☆なお今回の「言語系統」についても、研究者ごとに諸言語の分類などが異なる、 参考書によって言語の所属や配置が異なる、言語名の日本語表記に揺れがあるなどから、言語の系統というものが絶対的なものではなく、統一性がないものであることは記しておきます。

ちなみに、インド・ヨーロッパ語族(印欧語族)の諸言語に共通の祖先(祖語)は、インド・ヨーロッパ祖語ですが、これは理論的に構築された仮説上の言語であります。印欧祖語(いんおうそご、いんのうそご)ともいいます。

日本語は、「日本語族」として、 琉球語を方言として扱うかによって異なりますが、同系統の言語の存在が証明されていない「孤立した言語」であるとみなされます。 日本語の起源に関する議論は、古くは新井白石、本居宣長らの研究に遡ることが出来ます。最近では、国語学者の大野晋先生の、 日本語の起源を古代タミル語にあるとした、クレオールタミル語説なども有名です。

語族が同一の祖語から分かれた言語群であるのに対し、「言語連合」は、必ずしも系統的に関連のない言語同士が、同一の共通語文化圏に属したり、話者が同一地域に混住したり、また共通の基層言語の特徴を残存したりといった原因により、それぞれの言語の言語学的特徴が顕著な類似をもつにいたった言語群のことをいいます。

以上、大まかな分類を示すに留まりましたが、ラテン語から派生していった、現代のラテン語ともいえるイタリア語、またフランス語等が、英語に影響を与えていった歴史的背景等については、次の機会に考察していきたいと思います。